
2024年09月14日
モーツァルトのレクイエムよりも優れている、ルイ16世の処刑を悼んで作曲されたケルビーニの《レクイエム ハ短調》
Luigi Cherubini 1760.9.14-1842.3.15
イタリア生まれのパリで活躍した作曲家、ケルビーニが生まれた日(1760年)。作曲の腕前はベートーヴェンが「当代一のオペラ作家」と評すほど。また教育面でもパリ音楽院の院長として指導に尽力した。対位法の教科書を執筆し、後にドビュッシーやラヴェルも同書で学び、現代でもなお多くの対位法学習者に支持されている。

ルイージ・ケルビーニは、イタリア出身のフランスの作曲家・音楽教師。ケルビーニの作品で1797年3月13日にパリで初演された『メデア』は最も有名なオペラでしたが、1820年代にロッシーニの、華々しい声楽の技巧を凝らした輝かしく熱っぽいオペラがパリに上陸すると、古典的な厳粛さをそなえたケルビーニのオペラは、グルックやスポンティーニらの作品と同様に、時代遅れになった。
しかし『メデア』は、主役を演じられる歌手が間に合えば、時々復活することもある。現代でこの作品の復活に最も貢献したのは、1953年にヴィットリオ・グイの指揮で主役を演じたマリア・カラスのフィレンツェ公演とされる。
彼の理想主義や独立不羈といった気骨や、作品のとりわけ厳粛で高邁な性質のために、当時のパリ音楽院院長であったことが知られるくらいで、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかし、同時代の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した『対位法とフーガ講座』は、ショパンやシューマン夫妻も用いたほどであった。今日さほど著名ではないものの、ケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ―ドビュッシーやラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。
しかし『メデア』は、主役を演じられる歌手が間に合えば、時々復活することもある。現代でこの作品の復活に最も貢献したのは、1953年にヴィットリオ・グイの指揮で主役を演じたマリア・カラスのフィレンツェ公演とされる。
彼の理想主義や独立不羈といった気骨や、作品のとりわけ厳粛で高邁な性質のために、当時のパリ音楽院院長であったことが知られるくらいで、錚々たる音楽家からの尊敬を勝ち得た人物であることを想像するのは難しいかもしれません。しかし、同時代の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なした。またケルビーニが執筆した『対位法とフーガ講座』は、ショパンやシューマン夫妻も用いたほどであった。今日さほど著名ではないものの、ケルビーニはベートーヴェンとそれに続く時代のあいだ ―ドビュッシーやラヴェルでさえ例外ではありません。― に生きた、音楽の覇者です。
通販レコードのご案内FR VSM 2702 831 リッカルド・ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 ケルビーニ・シャルル10世の戴冠式のための荘厳ミサ曲
イタリアの作曲家ケルビーニ(1760~1842)は、当時としては時代遅れなくらいの王党派音楽家だった。ケルビーニは劇場での不運を嘆いて、徐々に宗教音楽に向かい出し、7つのミサ曲と2つのレクイエムの他、多数の小品を作曲した。これは王政復古したシャルル10世のためのミサ曲で、通常と違い全6章と、最後に静かな「宗教的行進曲」をもつ変わり種。近年ますます注目を浴びる合唱作品を、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱をそそぐムーティの演奏はまさに雄渾そのもの。世界初録音。
- オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 17142
- 特別価格1,760円(税込)
リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)は専制君主的なマッチョのイメージがあるが、楽団の美点を十分に発揮させているのが好ましい。このオーケストラの持つ弦の柔らかさと緻密なアンサンブル、マイルドな金管といった個性はヘルベルト・フォン・カラヤン以来の特徴でしたが、ムーティは在任期間、それらに磨きをかけ、さらに敏感なまでのリズム感と強靭なカンタービレを持ち込んで素晴らしい成果を残した。それはオットー・クレンペラー亡き後にムーティを後任として選出した、当時のニューが付いていた頃のフィルハーモニア管弦楽団が、歌心あふれる演奏を取り戻す、思えば極めて大胆な決断を行ったものです。録音時35歳のムーティの熱血かつ、情熱と表現意欲に富んだオーケストラが見事。イギリスのオーケストラとは思えない、強靭なカンタービレと歌をニューが付いていたころのフィルハーモニア管から引き出してます。名門、フィルハーモニア管は当時は低迷期だったと言われるが、本盤では優れたパフォーマンスを示している。
なぜムーティがケルビーニにぞっこんなのか
現代の巨匠で、ケルビーニの蘇演にかけているのがナポリ生まれの熱血漢リッカルド・ムーティ。イタリア全土から集まった30歳以下の若者で構成され、3年間のみ在籍が認められるユースオーケストラを組織して、ルイージ・ケルビーニ管弦楽団と命名するほど。ムーティがフィルハーモニア管にいた頃から構想をあたためてきたというケルビーニ管の誕生は、自分のキャリアの中で得た知識を若い音楽家たちに伝えたいという、ムーティの意思と強い希望に着想を得たものである。「特に、幸運にも一緒に仕事をしてこれた素晴らしいオーケストラと」築いてきたキャリアの中で得たものを、伝えたいというムーティの意思と希望である。1760年9月フィレンツェに生まれたケルビーニ(1760〜1842)の近年ますます注目を浴びる合唱作品を、ガブリエレ・フェッロの同志と共に、その音楽史上の重要性をアピールすることに情熱を注ぐムーティの思いをしっかり汲んだ、オーケストラの鉄壁なアンサンブルにもご注目。この曲を指揮するムーティやフィルハーモニア管弦楽団・合唱団は、この曲の長所を如何なく引き出す事に成功している。
通販レコードのご案内FR VSM 2C069-03950 リッカルド・ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 ケルビーニ・レクイエム
ルイ16世の処刑を悼んでミサを行うために、ルイ18世の命によって作曲された、厳粛で劇的な名曲『レクイエム ハ短調』(1816年)は、非常に大きな成功をおさめた。この作品はベートーヴェンだけでなく、シューマンやブラームスにも絶賛されている。ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「モーツァルトのレクイエムよりも優れている」と評価した。なお、ケルビーニ自身がハイドンやモーツァルトの支持者だった。
革命の犠牲となって、断頭台上の露と消えたルイ16世の運命はケルビーニ自ら目の当たりに見たところであったから、ケルビーニは並々ならぬ感動をもって作曲に取り組んだと言われる。全体の渋い色調と深い劇的表現にゲルマン的な力強さが漂っていて。的確な形式感にフランスの巨匠の洗練された感覚がうかがわれ、美しい合唱旋律がみなぎる運命的な迫力がある。地上の光輝も権勢も神の前には無にすぎぬことを、王の悲惨な運命ほど如実に教えるものはないとでも言うのか。革命に批判的であったケルビーニはこの曲にルイ16世ばかりでなく、革命の犠牲となった多くの死者への思いを託したに違いない。
革命の犠牲となって、断頭台上の露と消えたルイ16世の運命はケルビーニ自ら目の当たりに見たところであったから、ケルビーニは並々ならぬ感動をもって作曲に取り組んだと言われる。全体の渋い色調と深い劇的表現にゲルマン的な力強さが漂っていて。的確な形式感にフランスの巨匠の洗練された感覚がうかがわれ、美しい合唱旋律がみなぎる運命的な迫力がある。地上の光輝も権勢も神の前には無にすぎぬことを、王の悲惨な運命ほど如実に教えるものはないとでも言うのか。革命に批判的であったケルビーニはこの曲にルイ16世ばかりでなく、革命の犠牲となった多くの死者への思いを託したに違いない。
ミサの音楽的中心となる大規模な「奉納唱」は、
ベートーヴェンが《第九》 の最終楽章を書く際に参考にしたのではないだろうかと解説される壮大な二重フーガ。合唱はキリストの栄光を歌い、管弦楽は激しい付点のリズムによって地獄を描写する、対位法技術の粋が最も高度に昇華された音楽だ。
この曲は、ベートーヴェンの葬儀の後の追悼ミサでも演奏されたというエピソードからも、当時いかに高い評価を受けていたかがわかろうというものである。
傑作「レクイエム」はもう一曲ある。ルイ16世の思い出のためのレクイエムの大成功から20年後、ケルビーニの晩年。モーツァルトのそれと同じ調で書かれた、「レクイエム ニ短調」です。時のパリの大司教が葬儀のミサで、女性が歌うのを禁止した。その結果、74歳のケルビーニは男性の声だけで作曲しました。
男声合唱と管弦楽のためのレクイエムである。女声は全く使われない。太く力強いユニゾンと、クライマックスで拡張されたコーラスがもたらす灼熱感。そしてぶっきらぼうだが、明確な主張を持つ管弦楽。何より、馥郁とした香を放ち続けながら、うねり、流れ、そして高みでトゥッティによって放たれる、大いなる「祈り」の想い。
「入斉唱とキリエ」ではじまる、全7曲のうち最初の2曲では、あえてヴァイオリンとヴィオラを封印、低音中心の渋い響きとなっている。男声のみのまろやかで豊かな音楽は、華やかさはないものの、暖かくふくよかな響きに魅了される。ほぼアカペラで歌われる第6曲「ピエ・イエス」から、大きな起伏に富んだ最終曲「アニュス・デイ」。最後は管弦楽だけで永遠の安息を暗示するかのように静かに結ばれる。
傑作「レクイエム」はもう一曲ある。ルイ16世の思い出のためのレクイエムの大成功から20年後、ケルビーニの晩年。モーツァルトのそれと同じ調で書かれた、「レクイエム ニ短調」です。時のパリの大司教が葬儀のミサで、女性が歌うのを禁止した。その結果、74歳のケルビーニは男性の声だけで作曲しました。
男声合唱と管弦楽のためのレクイエムである。女声は全く使われない。太く力強いユニゾンと、クライマックスで拡張されたコーラスがもたらす灼熱感。そしてぶっきらぼうだが、明確な主張を持つ管弦楽。何より、馥郁とした香を放ち続けながら、うねり、流れ、そして高みでトゥッティによって放たれる、大いなる「祈り」の想い。
「入斉唱とキリエ」ではじまる、全7曲のうち最初の2曲では、あえてヴァイオリンとヴィオラを封印、低音中心の渋い響きとなっている。男声のみのまろやかで豊かな音楽は、華やかさはないものの、暖かくふくよかな響きに魅了される。ほぼアカペラで歌われる第6曲「ピエ・イエス」から、大きな起伏に富んだ最終曲「アニュス・デイ」。最後は管弦楽だけで永遠の安息を暗示するかのように静かに結ばれる。
- オーダーはリンク先の詳細掲載ページで品番 / 17143
- 特別価格1,760円(税込)
1822年にケルビーニはパリ音楽院院長に就任し、1835年に高弟ジャック・アレヴィの補佐を加えて『対位法とフーガ講座』(Cours de contrepoint et de fugue)を上梓した。
晩年に作曲された、レクイエム ニ短調は、どうやら自身の葬送のために書かれたものであるらしい。実際に1842年、ケルビーニの葬式でも演奏された。
1842年3月15日に81歳でパリに永眠したペール・ラシェーズ墓地の彼の墓の4つ右隣には、ショパンの墓(1849年10月17日没)がある。
晩年に作曲された、レクイエム ニ短調は、どうやら自身の葬送のために書かれたものであるらしい。実際に1842年、ケルビーニの葬式でも演奏された。
1842年3月15日に81歳でパリに永眠したペール・ラシェーズ墓地の彼の墓の4つ右隣には、ショパンの墓(1849年10月17日没)がある。
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