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2024年09月18日

超絶技巧が良く解る◉2トラック録音 ハイフェッツ ライナー シカゴ交響楽団 ブラームス・ヴァイオリン協奏曲

歯切れの良さが圧巻で、
スリリングな楽興の時を紡ぎ出します。
胸のすくアッチェレランド、絶妙な間合い、
なかんずくふとしたところに現れるポルタメントは迷いがない。
個々のパートまではっきり分離するステレオ
わずか2本のマイクロフォンで収録された
2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の
定位感が鮮明に捉えられた、録音史に残る名録音!


CDはアマゾンで購入できます。


Brahms-Heifetz-Reiner-Chicago-Symphony-Orchestra-Violin-Concerto-In-D-Op-77

【SACDはアマゾンから購入できます】不滅のリビング・ステレオSACDハイブリッド・シリーズ、ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ、シカゴ交響楽団、フリッツ・ライナー指揮との共演による1955、57年録音盤。
 録音:1955年2月21,22日、シカゴ・オーケストラ・ホール【2トラック録音】


通販レコードのご案内オイストラフと双璧を成す名盤であり、歯切れのよさやアグレッシヴなテンションの高さは、オイストラフもかくやと言える出来だ。

US RCA LM1903 ハイフェッツ&ライナー ブラームス・ヴァイオリン協奏曲《米シェード・ドッグ盤》US RCA LM1903 ハイフェッツ&ライナー ブラームス・ヴァイオリン協奏曲
 ハイフェッツの演奏の特異性については、完璧・精巧無比・人間の限界を極めた、など様々取り沙汰されているが情熱と厳格さが混淆していることを説明する最もよい例が、このライナー/シカゴ響をバックにしたハイフェッツが奏でるブラームスのヴァイオリン協奏曲。ピッチを正確に鳴らしているだけで、ぶっきら棒に聴こえてしまうのも致し方無い。しかし、一見速いだけの演奏から、細やかなニュアンスの妙が聴ける。胸のすくアッチェレランド、絶妙な間合い、なかんずくふとしたところに現れるポルタメントは迷いがなく、ハイフェッツが単なる技巧一辺倒では決してないことが分かるだろう。
 ハイフェッツとライナー=シカゴ響の火花散る協奏曲。ハイフェッツとライナーはお互いに深い尊敬の念を抱いていたが、協奏曲の録音はブラームスとチャイコフスキーの2曲しか残されていません。ドイツ的な重厚さとは無縁のブラームス、アウアー門下としての本領が十二分に発揮されたチャイコフスキーと、いずれもハイフェッツにしか成し得ない個性的なヴィルトゥオジティを満喫でき、ライナー率いるシカゴ響の見事なアンサンブルが切れ味鋭いハイフェッツのソロを一層際立たせています。ブラームスはハイフェッツにとって2度目の録音にあたる。そして、このブラームスはコントラバスを右側に置く変則的なオーケストラ配置によっているのも特色です。
 ステレオ最初期にハイフェッツが残したブラームス。1955年に録音され、ステレオ盤(LSC1903)も存在する高名な一枚。ハイフェッツらしく快速・明快なヴィルトゥオーゾぶりを見せつける名演奏。ライナー&シカゴ響もハイフェッツに合わせてか、重くなりすぎない爽やかな伴奏で見事なアンサンブル。「泣き」のあまり入らない、ブラームスとしてはやや異色の名演奏です。
 シカゴ交響楽団と言えば、ゲオルク・ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ響に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくライナーであると考えられる。
 シカゴのオーケストラ・ホールは、ボストン・シンフォニー・ホールよりも録音に向いていたようで、このホールで収録された1950年代・1960年代のライナー=シカゴ響の録音はいずれも高いクオリティに仕上がっており、オーケストラのトゥッティの響きと各パートのバランスの明晰さが両立した名録音が多いです。1958年ステレオ時代の到来と共に、RCAはライナー指揮シカゴ響と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。
 個々のパートまではっきり分離するステレオは、生の音とはやや趣を異にするとはいえ、やはりすごい。スタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。アンサンブルを引き締めながら、強靭な造形が生む緊張感の素晴らしさがハッキリと感じ取れます。

クラシック音楽愛好の王道、レコード・コレクターにとってファースト・チョイスの決定盤。

 ヴィルトゥオーゾと呼んで20世紀初頭頃までのクラシック音楽の演奏には曖昧さが許され、またかえってそれをよしとする風潮があったと言える。
クライスラーやエルマンの録音からは、技術的問題も含め、譜面に指示のない表現を良く行うことに気付く。その良し悪しについてはひとまず置いておき、当時は奏者の個性を前面に出す事が重んじられていたようである。
 これに対してハイフェッツは、冷静かつ正確に、一切の妥協を排除した解釈を行なった。現代では作曲者の意図を最も適切に表現する事が重んじられている。鋭い運弓と力強いヴィブラートによって創り出されるその音色は非常に特徴的である。演奏家それぞれの個性などという次元ではなく、ハイフェッツがヴァイオリンを奏でることで、別質の新しい楽器がそこにあるかのごとく錯覚を起こしそうになる。その余りに強烈な個性が、このブラームスにも宿っている。
 製作陣は RCA の一軍、ジョン・プファイファー&ルイス・チェースで 10+/PERFORMANCE/GOOD の高い評価で、現在でもトップレベルの人気盤の地位を維持している。
 多くのクラシック音楽愛好家は、その入門で、この録音に魅了され今に至るではないか。それはオリジナル盤に改めて魅了されるのも同じ録音盤というほど、ファースト・チョイスの決定盤。

3チャンネルではなくて、3トラック録音

 ライナー=シカゴ響のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ交響楽団の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。
  RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。1956年4月17日のセッションまでは2トラック録音だったが、「家庭交響曲」は3トラック録音。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星のごときソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。いずれもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。

ヴィンテージレコード詳細

プロダクト

Heifetz, Fritz Reiner - Chicago Symphony Orchestra ‎– Brahms ‎– Violin Concerto
レコード番号
LM1903
作曲家
ヨハネス・ブラームス
演奏者
ヤッシャ・ハイフェッツ
オーケストラ
シカゴ交響楽団
指揮者
フリッツ・ライナー
録音種別
MONO
SHADED DOG, MONO 1枚組(140g), Stamper 8S/33S。

ヴィンテージレコードのカバー、レーベル写真

US RCA LM1903 ハイフェッツ&ライナー ブラームス・ヴァイオリン協奏曲
US RCA LM1903 ハイフェッツ&ライナー ブラームス・ヴァイオリン協奏曲

コンディション

ジャケット状態
EX
レコード状態
EX++
製盤国
US(アメリカ合衆国)盤

通販レコード

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  • 品番24140
  • 販売価格4,950円(税込)
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2024年09月18日

妹婿は澁澤榮一の孫、戦後日本の音楽教育者としてその真価を示した男は傑物だった◆その男は小澤征爾の師、9月18日は彼の命日

渋沢栄一

Hideo Saitou 1902.5.23-1974.9.18

斎藤秀雄が没した日(1974年9月18日)。チェロ奏者・指揮者・教育者として、戦後日本のクラシック音楽の世界を支え、技術の向上に貢献した。チェロ奏者としてN響の首席奏者を務め、指揮者としては門下から小澤征爾、秋山和慶、飯守泰次郎などの逸材を輩出。さらには『指揮法教程』(56年)という、いわゆる〝斎藤メソッド〟を確立し、今もなお世界中の指揮学習者のバイブルとなっている。
DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
この『指揮法教程』は1956年に音楽之友社から出版され瞬く間に売れ、レナード・バーンスタインから賞賛されるなど、齋藤の遺した最も大きな仕事の一つである。ただし、その内容は「齋藤の教えそのものではなく、一般向けに内容を平易化しているために誤った理解がなされていること」を弟子の伊吹新一は力説している。
宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる、のは16歳のとき。二十歳になる1922年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿に随伴して、ドイツに留学。1930年、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽院(Musikhochschule)でエマーヌエル・フォイアーマンに師事する。
途中、1927年に帰国しNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年の第30回定期では指揮者としてデビュー。同年にはチェリストとしてもデビューを果たし、1929年に初のリサイタルを開催しているが、遠山一行は「むかし齋藤さんがチェロをひくのをきいたある作曲家が、あれは西洋音楽の音ではなくて日本の太鼓やつづみの音にちかいといったのを覚えている。齋藤さんの分析のなかにある音楽と彼の耳に鳴っている音のリアリティの間には、本当にめまいがするような深い断絶があった」と述べている。
また、齋藤は松竹交響楽団や東京交響楽団などの首席指揮者を務め、戦時中に、井口基成とベートーヴェンの「皇帝」、巌本真理とベートーヴェンのロマンス第1番、第2番を録音している。指揮者としても「あれは、ワルツのお化けだった。ワルツ特有のリズムのくせを、極度に強調し、理づめでつくり上げた結果、演奏からはあらゆるゆとりとよろこびと ― 要するにヴィーンのワルツにあるすべての感覚的精神的美質がグロテスクなまでに歪曲されてしまっていた」(齋藤によるヨハン・シュトラウス作品の指揮に対する吉田秀和の評言)などと評された。
終戦後、ソリストとしては活動しなくなるが、巌本や森正らの室内楽活動に手を貸す傍ら、1948年には井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていく。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品

  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
小澤の師匠であるバーンスタインの代表曲、組曲「『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス」を若き小澤が熱演しています。珍しい、ルッソの「ブルースバンドとオーケストラのための3つの小品」もぜひ一度お聴きください。
門下生だった堤剛によると、齋藤は喫煙中毒者であり、指導中にくわえ煙草でチェロを弾くことも多く、愛器を修理に出した際に胴体から数年分の灰が出てきたことがある。灰を除いたチェロの音については、良くなったという生徒もいれば、味を失ったと評する生徒もいたという。
また、山本直純によると、ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという。門下生の小澤征爾は高校時代、齋藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある。
宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの中に出てくる管弦楽団の厳しい楽長(指揮者)のモデルは、ちょうど留学から帰ったばかりで厳しい指導をしていた新交響楽団での齋藤の姿から考えたのではないか、という説がある。

小澤征爾の四人の師匠

1951年に齋藤秀雄の指揮教室に入門して来たガッチリとした体格の青年が、小澤征爾だった。ピアニスト志望だった小澤青年は、豊増昇にピアノを習う一方で、中学ではラグビー部に所属していた。雨の試合でスクラムで右手人差し指を骨折したためピアノの道を断念したところだった。
「ボクは先生の親戚の者ですが、指揮を勉強したいんです」
「われわれが来年桐朋学園という音楽学校を新しく作るから、それまで待ってそこに入りなさい」
1952年春、出来たての桐朋女子高校音楽科(指揮科)に一期生として入学した。男子生徒はわずか4人で、指揮科の生徒は征爾一人だった。
齋藤の指揮のレッスンはものすごくきびしく、一緒にレッスンを受けていた山本直純と二人でどなられて、齋藤の家の窓から裸足で逃げてきたこともあったらしい。指揮棒でたたかれたり、分厚いスコア(オーケストラの総譜)を投げつけられたりするのは日常茶飯事だったようで、ページがバラバラにとれてしまったスコアを、征爾はあわててかき集めて家まで持ち帰ってきては、バラバラのページをまたセロテープで順番にくっつけていた、と小澤征爾の実弟でありエッセイストの小澤幹雄の『やわらかな兄 征爾』(光文社刊)にある。

ヴィンテージレコードの紹介JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番

豊増昇の名前を知っている音楽愛好家はどれくらいいるのだろうか。豊増昇(1912-75) は1936年に、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽大学でレオ・シロタ、リストの高弟フレデリック・ラモンドに師事し、日本人として初めてベルリン・フィルの定期に出演した日本ピアノ界の草分けの1人。小澤征爾、園田高広、舘野泉のピアノの師としても知られています。少年時代の小澤征爾が、ラグビーで指を骨折し、ピアノを諦めようとした時、「指揮という道もあるよ」と言って新しい道を拓いてくれたのは豊増昇だった。また戦後と現代の日本で活躍している、あるいは活躍したピアニストの多く ― 日本のピアノ黎明期を支えた園田高弘、舘野泉が、豊増昇の薫陶を受けている。作曲家中田喜直の恩師でもあったり戦前戦後の日本の音楽界を陰から支えた名伯楽・豊増昇。あちこちの人生録や、テレビドラマで名前は出てくる存在ながら、残された録音は少なく、そのバッハ、ベートーヴェンの正統的解釈と演奏はドイツ人を驚嘆させたとして有名ながら、音で聴くことが珍しいもの。
  • JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番
  • 戦前から戦後にかけて日本のみならずヨーロッパ各地でベートーヴェンやバッハの演奏で聴衆を魅了し、ドイツなどの批評家達も絶賛したという。1956年、日本人ピアニスト初のソリストとしてベルリン・フィルの定期演奏会に招かれたことからもその技量は本盤からも窺い知れます。
昭和44年4月リリース。50歳代後半の録音。ドイツの演奏伝統を踏まえながら、卓越したテクニックをと粒のそろったタッチを駆使して鋭い感性のひらめきを見せる彼のピアノ演奏は、まさに〝天才肌〟そのもの。日本人離れした演奏に驚かされます。他に録音が残っていれば、残らず聴いてみたい。2019年秋、吉祥寺のコミュニティセンターでイヴ・アンリさんのコンサートが行われた際、ひっそりとそのスペースに置かれていたベヒシュタインのE型フルコンサートが豊増昇が使用していた楽器を寄贈したピアノだったこと。フレームを塗り直したのか製造番号はなくなっていたものの、支柱のケース番号から1928年ごろの楽器とわかり、豊増が1930年代にドイツに留学していた頃に入手したピアノではなかったかと話題にもなりました。
齋藤は教え子に常々「10回やったら10回全部できなかったら、音楽じゃない。もし演奏会のときできなかったら、どうするんだっ」と説いていたが、齋藤自身は極端な上がり症であり、本番の演奏会で指揮する時は練習の時と全く異なり「先入」という指揮法をやたらに多用した。意識的にやっていたのかと思った小澤征爾から「先生、今日は『先入』ばかりでしたね」と言われると、齋藤は逆上して「そんなこと言うな!俺は先入なんかやるつもりはないけど、そうなるんだ!」と癇癪を起こした。
小澤征爾の四人の師匠
そのころは、桐朋学園の学生オーケストラも出来たばかりで人手がなく、小澤ひとりでみんなの譜面台や椅子の手配から、パート譜の印刷まで一切をやっていた。オーケストラの雑用でヘトヘトになり、自分の指揮の勉強がじゅうぶん出来ないまま、齋藤の家にレッスンに行くと、不勉強だといってどなりつけられるという具合で、半ば絶望的になった征爾が、家に帰ってきて、本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、ガラスをメチャメチャに割って大怪我をしたエピソードを残した。
その時の傷跡を見るたびに、小澤征爾は悔しさを噛み締めただろう。その後の武者修行で、カラヤン、バーンスタイン、ミュンシュと師に恵まれた小澤の頑張りの肥やしになったはずである。
齋藤秀雄の最も著名な愛弟子である小澤征爾は、対談(新潮文庫『音楽』)の中で「普通の先生は、ピラミッドの一番上が目立つからそこを教えたがる。」と前置きにして、4人の師の第1番に齋藤をあげて、こう語っている。「あの先生は、底辺の生徒を教えたがった。教育者として一番おもしろいのは、できないやつが、少しでもできるようになることだって」
教育者が名声を得たければ優秀な弟子を育てればよい。しかし、齋藤秀雄はそうではなかった。優秀でない生徒にこそ、最も真剣に力を入れて教える ― それは教育の目的を生徒自身に置いていることの(あかし)である。彼の情熱的で献身的な指導のもとからは、大勢の音楽家が育った。小澤ら代表的な弟子は、その裾野の広さを象徴する存在なのだ。
齋藤秀雄門下の弟子たちは、毎年夏に集まって数週間の公演を行う。サイトウ・キネン・オーケストラと名づけられたその楽団は世界最高とも言われる絶妙のアンサンブルを誇る。彼らの演奏の前後の談笑や、リハーサルでは共通の師、齊藤の話しが出る。そこで小澤と同じ初期の門下生は、厳しい先生だったと悔しさを夫々が噛み締めたときもあったようだが、齋藤の門下生100名以上、25年間に渡っていることもあって、厳しい先生ではあったが若い門下生が齋藤先生に抱いた印象は違うようだ。師匠の偉大さは弟子によって証明されるものだ。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」

華麗な演奏効果に満ちた『三角帽子』。
  • DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」
  • スペイン近代の作曲家ファリャの代表作として知られるバレエ音楽『三角帽子』。カスタネットを加えた情熱的なリズムや鮮やかで色彩的な音色を駆使した音楽は、いかにもスペインならではのもの。小澤の熱気溢れる指揮に加え、ベルガンサのメゾ・ソプラノ独唱が演奏に花を添え、聴く者をスペインの世界へと誘います。
1976年10月ボストン、シンフォニー・ホール録音 。

  


2024年09月18日

お持ちいただいたレコードをクリーニングいたします。オヤッグサウンド、レコードクリーニング実演会開催。

Oyagsound

お持ちいただいたレコードをクリーニングいたします。

OYAGSOUND

アナログレコードの文化を守る
オヤッグサウンド
レコードクリーニング実演会

オヤッグサウンド、レコードクリーニング実演会

開催日
2024年9月21日(土)
開催時間
①13:00〜14:00
 
②15:00〜16:00
開催場所
ヨドバシカメラ マルチメディア梅田
 
3階 高級オーディオ試聴室
参加費
無料


今月21日(土)に大阪ヨドバシカメラマルチメディア梅田において「オヤッグサウンド、レコードクリーニング実演会」を開催いたします。
お持ちいただいたレコードをクリーニングいたします。
お一人様1枚。


LP用クリーナーとSP用クリーナーともにレコードにクリーナーを数滴落としてオヤッグレコードクリーナークロスで拭き取れば汚れが取れます。

レコードクリーニングについてのご相談ご質問もお受けいたします。
画像は昨年の実演会の様子です。
関心のある方、南野の顔を見てやろうと言う方はおいで下さい。
よろしくお願いします。

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Posted by WoodStockR at 07:45Comments(0)OYAG SOUNDamazon selectionおしらせ