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2024年09月22日

♬現代が忘れ去りつつある何かがこの演奏に*リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管○バッハ・ブランデンブルク協奏曲全曲

J.S.バッハ: ブランデンブルク協奏曲(全曲) (2SHM-CD)
カール・リヒター
Universal Music
2021-07-07


通販レコードのご案内モダン楽器を選んだリヒターの峻厳なバッハ。バッハの世俗音楽はもっと気軽に聴きたいという気持ちもないわけではありませんが衝撃を受ける「ブランデンブルク」を代表する名盤の一つです。

DE ARCHIV SAPM138 438/39 リヒター/ミュンヘンバッハ管弦 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)《独シルヴァー・ラベル》DE ARCHIV SAPM138 438/39 カール・リヒター ミュンヘン・バッハ管弦 バッハ・ブランデンブルク協奏曲(全曲)
 バッハ演奏に生涯をささげた巨匠、カール・リヒターによる有名なブランデンブルク協奏曲。
 モダン楽器小編成オーケストラによる求心力の強いキビキビしたリズムと力強い推進力が特長のバッハ演奏。アンダンテで深い抒情を聴かせる、ニコレやクレメント、バウマン、リンデ、ヘッツェル等、ソリストが非常に豪華なのも特筆されるところ。リヒターのしつらえた完璧なフォルムの中にあって、随所で味わい豊かなソロを聴かせてくれています。
 録音は歪みなく明せきな音質で各楽器がクリアーに聞きとれます。1967年、ステレオ録音。

通販レコード詳細・コンディション、価格

プロダクト

レコード番号
SAPM138 438/39
作曲家
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
オーケストラ
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
指揮者
カール・リヒター
録音種別
STEREO
SILVER WITH BLACK LETTERING, STEREO 2枚組(150g)。

販売レコードのカバー、レーベル写真

DE ARCHIV SAPM138 438/39 リヒター/ミュンヘンバッハ管弦 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)
DE ARCHIV SAPM138 438/39 リヒター/ミュンヘンバッハ管弦 バッハ ブランデンブルク協奏曲(全曲)

コンディション

ジャケット状態
EX
レコード状態
M-
製盤国
DE(ドイツ)盤

通販レコード

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オーダーは 品番 / 26067
販売価格 6,600円(税込)

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2024年09月22日

神々の破滅を描いた《ニーベルングの指環》序章《ラインの黄金》が鳴り響いた日



自作だけを上演する歌劇場を建てた唯一の作曲家。


9月22日

1869年の本日(9月22日)、ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』4部作の1作目、楽劇『ラインの黄金』がミュンヘン宮廷歌劇場にて初演された。こののち楽劇『ヴァルキューレ』が1856年、楽劇『ジークフリート』は1858年から1864年にかけての中断をはさんで1871年、楽劇『神々の黄昏』は1874年に完成する。

22 September 1869 - Das Rheingold premieres in Munich

Wilhelm Richard Wagner

(1813.5.22 〜 1883.2.13、ドイツ)
 19世紀の半ばに活躍したドイツ歌劇の大作曲家。ベートーヴェンに心酔して音楽家となり、各地を遍歴し、辛酸しんさんを嘗めているうちに次第に芸術的にも人間的にも大きく成長し、次々と名作歌劇を書いていった。歌劇「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」、「ローエングリン」を経て、楽劇「トリスタンとイゾルデ」で一つの頂点を築き、大成時代に入ってから全4部からなる舞台総合芸術の楽劇「ニーベルングの指環」を完成、歌劇史上に巨大な金字塔を打ち建てたのである。そして、これらの楽劇を上演すべく建設されたのが、有名なバイロイト祝祭劇場である。
 音楽史上で彼ほど大きな夢を持ち、それを着々と実現していった作曲家というのは他にいない。苦労も多かった割りに、幸福も大きかったわけである。ワーグナーは、ドイツ・ロマン主義の爛熟期に咲いた大きな花であった。

現代指揮理論の一つの大きな源流。

リヒャルト・ワーグナー

Bayreuth-Rheingold-1876

夢を着々と実現させ、自作だけを上演する歌劇場を建てた稀代の存在。

 リヒャルト・ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったがワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年、母親が俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。この俳優が実の父親だったろうとも言われているが、ワーグナーは父親への思慕の念が強いまま育ち、後年のオペラ作品の根底に強く感じられる。
 音楽史に残る作曲家やレコード史に残る演奏家は神童と呼ばれたケースが多いがワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。
 23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。
 しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。
 とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。

ワーグナーは、警察につかまりそうになったり、ひとから借りたお金を返さなかったり、たくさんの女性と恋をしたり、いろいろ問題も起こしましたが、世界が神々の時代から人の時代に受け渡されるまでを描く広大な構想で、上演に5日かける、ものすごく長いオペラの音楽と物語をすべて自分で書くなど、天才的な才能を持ったひとでした。

ドイツ・バイエルン州バイロイトで毎年7月から8月にかけて、ワーグナーの作品のみが上演されるバイロイト音楽祭。

ワーグナーとバイロイト音楽祭

このバイロイトは、1972年にオリンピックが行われたバイエルン州の首都ミュンヘンから、北に約200キロほど離れた小都市で、ふだんは人口約6万人の静かな田舎町だが、この「バイロイト音楽祭」の期間中は大変な活況を呈する。現在、世界各地でいろいろな音楽祭が開催されているが、この「バイロイト音楽祭」は、その中で最も由緒のある、歴史の古いものの一つです。

毎年7月20日頃から約一ヶ月間に渡って行われる「バイロイト音楽祭」に出かけることを、ワーグナー・ファンは〝バイロイト詣で〟と呼んでいる。
彼が書き上げたオペラだけを上演するために、1876年にワーグナーがはじめたバイロイト音楽祭には、世界中からワーグナーのファンがたくさん集まります。

そのこけら落としには、チャイコフスキーもいた。彼は、「専門の音楽家である私が、四部作の個々の部分の上演の後に、精神的にも肉体的にもすっかり疲労困憊したのであってみれば、熱心に傾聴した愛好家たちの披露はどんなに大きかったことだろう」と書いている。確かに、この完成までに26年もの歳月を要した超大作は、聴き手にとっても全部聴き通すのは大変な時間と体力を要求する労作なのである。



ワーグナーが、最初に劇詩『ジークフリートの死』を書いたのは、1848年。35歳のことである。歴史上名高いマルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」が発表された年である。2月22日、社会党と共産党を中核としたフランス市民は、政府軍に攻撃を開始し、パリに二月革命が起こった。3月に入ると、ウィーンに革命騒動が起こり、ワーグナーが宮廷楽長をしていたドレスデンにも、この革命の波はあっという間に押し寄せた。こうした物情騒然たる空気の最中、革命児ジークフリートをワーグナーは創造した。ジークフリートこそ、最もゲルマン的特性を備えた英雄であった。

ワーグナーはスイスに亡命。チューリッヒの豪商ヴェーゼンドンク夫妻の援助で、経済的にはなんら不自由することなく、文筆や創作活動に没頭することができた。

最初の計画では、後に全編の締めくくりとなった《神々の黄昏》にあたる「若きジークフリートの死」だけで独立したオペラとするつもりだったが、ワーグナーは筋を追って前へ前へとさかのぼった台本を書く必要を感じ、『ジークフリート』、『ワルキューレ』、『ラインの黄金』の順で台本を作成した。

この全曲を完成するのに、ワーグナーは26年の歳月を費やした。なんという息の長さ、なんという意志の強さ。しかも、さらに。この『ニーベルングの指環』を理想的に上演できる劇場をも求め、ついに志を遂げた。

 彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。

ライン川の流域で大暴れしていた悪い竜を倒し、溢れんばかりの黄金を手に入れた英雄ジークフリートは計略で落命 ― 神々の破壊を描いた「ニーベルングの指環」は最後に新しい世界を予見する。

神々の破壊を描いた大叙事詩的連作オペラ《ニーベルングの指環》の第1作 ― 正確には序夜、「ラインの黄金」から、新しい城ヴァルハラへ神々が入っていく場面の壮麗なフィナーレ(ヴァルハラ城への神々の入城)を聴こう。黄金を奪われたことで神々の終焉を恐れるラインの乙女たちの「ラインの黄金よ!」の嘆きの歌が印象的だ。

ラインの乙女たちの「ラインの黄金よ!」

ラインの黄金!ラインの黄金!きよらかな黄金!

何とけがれなく、明るく、愛らしく輝いていたことか!

ああ、悲しい・・・あの透き通った黄金がないなんて。

どうか返して!

あの清らかな黄金を、あたしたちに返して!
ラインの黄金!ラインの黄金!きよらかな黄金!

ああ。もう一度、けがれなき水底のおもちゃとして輝いて!

信頼と真心があるのは、ただこの水底ばかりで、

上のほうでは、虚偽と卑劣が我が世の栄華を誇っている!

復讐に燃える花嫁ブリュンヒルデが一族に血を血で洗う戦争を仕掛ける凄惨なお話


リヒャルト・ワーグナーは1813年にドイツで生まれた作曲家です。かつてオペラといえば、イタリア語で歌うものがほとんどでしたが、ワーグナーはドイツ語でも歌えることを示して、オペラの歴史を変えました。また、当時、オペラは娯楽と思われていましたが、ワーグナーはオペラを芸術にまで高めようとしました。


ニーベルングの指環

この四部作は、中世の叙事詩『ニーベルンゲンの歌』や、北欧の神話ヴェルズング伝説やドイツ地方の民話(フケー「大蛇殺しのジークフリート」もそのひとつ)を素材として、ワーグナー自身が彼一流の神秘的架空物語としたもの。正確に言えば、中世初め(5~6世紀)の神話伝説を、作者は不明だが13世紀にまとめられたものが一般に読まれています。ひとつはドイツ、他の一つは北欧で編纂され、両者は極めて似た内容を持っています。ドイツではジークフリートの英雄物語としてストーリー性のある「ニーベルンゲンの歌」となり、一方北欧(ノルウェイ、アイスランド)では「エッダ」と、神々やらワルキューレの話も含む「サガ」になっています。このふたつは神話伝説として伝わるスタイルをそのまま集成したもので一貫性はなく、ワーグナーは北欧の「エッダ」をベースに、「ニーベルンゲンの歌」で肉付けています。


das-rheingold-castle


バイロイト音楽祭では、『ワルキューレ』と『ジークフリート』の間に一日休みを挟んで上演されます。前半は大神ヴォータン、後半が英雄ジークフリートを主人公にして、神々から、悩ましい腰使いで誘惑するラインの乙女、神々の城を作る巨人族の兄弟、魔法の道具を作る小人族、ドラゴン、そのドラゴンの宝の在り処にジークフリートを導くフェアリー、戦いに明け暮れている民族、彼らに連れ去ら割れ花嫁にされてしまう女性が関わってくるが、この物語の中心にあるのは、世界統治の力を持つ黄金の指環。黄金の力が人間の権力欲を刺激し、醜い権力闘争を引き起こす、古くて新しい永遠のテーマ。果てしない奪い合いの果に、黄金の指環は荒れ狂うライン川に飲み込まれ、その力は、何もかも流し去ったあとの大地に還元される。

リヒャルト・ワーグナー 略歴

  1. 1813年
    ドイツで生まれる
  2. 1836年
    ミンナ・プラーナーと結婚
  3. 1839年
    パリに移る
  4. 1842年
    ドイツに帰る
  5. 1849年
    ドイツの三月革命に参加
  6. 1864年
    ドイツへの帰国が許される
  7. 1866年
    ミンナが死去
  8. 1870年
    コジマと結婚
  9. 1876年
    バイロイト祝祭劇場が完成
  10. 1883年
    死去

  


2024年09月22日

ストラディヴァリウスの個性を引き出している*ミルシテイン ヨッフム指揮ウィーン・フィル ブラームス・ヴァイオリン協奏曲

ウィーン・フィルの色彩美にも陶酔。
汗が散る様子すら容易に目に浮かぶ。ミルシテンの感情が深いところから完全に音にのって現れてくるのが伝わる。ヴァイオリンの貴公子と呼ばれたミルシテインの、この気品はオーディオにこだわって再生して楽しみたいものだ。
彼は古今東西最も音が明瞭・透明なヴァイオリニストだ。
3度の録音いずれでもミルシテイン自作のカデンツァが用いられている。スタジオ録音であるが、あたかもライヴのように生々しく、びりびり伝わってくるものがある。この演奏は文句無く最高で、他の追随を許さず超然としています。

CDはアマゾンで購入できます。
ブラームス:VN協奏曲
ブラームス
ユニバーサル ミュージック クラシック
2002-12-18


Nathan MILSTEIN, Eugen JOCHUM/ Wiener Philharmoniker – BRAHMS: VIOLIN CONCERTO – Deutsche Grammophon 2530 592

DE DGG 2530 592 ミルシテイン/ヨッフム/ウィーンフィル ブラームス ヴァイオリン協奏曲

この気品はオーディオにこだわって再生して楽しみたい

First Choice《独ブルーライン盤》DE DGG 2530 592 ミルシテイン&ヨッフム/ウィーン・フィル ブラームス・ヴァイオリン協奏曲

■初版は《ブルーラインラベル》外周が青の二重線で囲まれたものです。
    演奏家としては同門のヤッシャ・ハイフェッツと同じく傑出した超絶技巧の持ち主ではあったが、それを前面に押し出す演奏には消極的だった。むしろウジェーヌ・イザイを通じて身につけた、歌心と美音を尊重するベルギー楽派の優美な演奏スタイルが際立っている。そのためしばしばナタン・ミルシテンはヴァイオリンの貴公子と称される。同門のハイフェッツやミーシャ・エルマン比してアクは少ない。しかしその音楽は決して退屈なものではなく、時にはフランス流エスプリ色の強い堅固に構築された音楽の中からほとばしる情熱を垣間見せる。

    彼は古今東西最も音が明瞭・透明なヴァイオリニストだ」とイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)は評していたようです。そのミルシテインは練習の虫で「もっと明瞭なフレージングができる指使いを発見したぞ」と友人に話し聴かせる事も多々あったようですが、演奏スタイルは「超絶技巧」を前面に出さず音色もフレージングも非常に明瞭で独特の気品があり、艶やかで匂い立つ様な色気に満ちた素晴らしいものです。

     ミルシテインは、ブラームスのスタジオ録音を3種残した。最後になった本盤の録音ではミルシテインが70歳過ぎであるが、テクニックは衰えていない。どの演奏も過剰にテクニックをひけらかさず、過剰な感情移入も避けている。オーケストラのスケールの大きさ上手さではオイゲン・ヨッフム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が一頭ぬきんでていて、ミルシテインはそれに一歩も引かない素晴らしい独奏を繰り広げている。

     ヨハネス・ブラームスのヴァイオリン協奏曲のカデンツァには大半がヨーゼフ・ヨアヒムのもので、あとはクライスラーのものが演奏されることが多いが、ミルシテインは3度の録音いずれでもミルシテインの自作のものが用いられている。この演奏は文句無く最高で、他の追随を許さず超然としています。

     この演奏を聞くとまず、これがスタジオ録音であるが、あたかもライヴのように生々しく、びりびり伝わってくるものがあります。そんな目の前で弾かれているかのような実在感と緊張感があるのは、ミルシテンの感情が深いところから完全に音にのって現れてくるからでしょう。汗が散る様子すら容易に目に浮かぶ物凄い熱演です。
    使用楽器は高名なストラディヴァリウスで、楽器の制作時期は黄金期ではあるが一級の名器に比べるとやや音量が少な目の楽器だという。ストラディヴァリウスと言っても同一作者が楽器を一本、一本、作り、調整していたわけでないことは近頃では判明していること。細身に聞こえても演奏者の腕の衰えと捉えるのはおかしい。

     長谷裕二さんの説明書きでは、ミルシテインの美音がヘルベルト・フォン・カラヤンにダメにされたと強調するような書かれ方をしているようですが、その根拠気にかかります。

     しかし本盤を聴けば、この楽器の潜在能力をミルシテインが十分に引き出していたに気づくと思います。

     一挺のヴァイオリンがフルオーケストラに引けをとらない存在感を示し、完全に対峙している。一つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦した意欲的な創作と言えるのでは ― アントニン・ドヴォルザーク、アレクサンドル・グラズノフのヴァイオリン協奏曲にぴったりではないか、作曲家が個性を押し出した音楽の感動を与えてくれることを如実に証明してくれた演奏です。
    【ナタン・ミロノヴィチ・ミルシテインのプロフィール】(Nathan Milstein、1903年12月31日〜1992年12月21日)ウクライナ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。しばしば20世紀の傑出したヴァイオリニストのひとりに数えられており、ロマン派の作品ばかりでなく、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「無伴奏ヴァイオリン」作品の解釈で知られた。多くの協奏曲のために独自のカデンツァを作曲しただけでなく、ヴァイオリンのために多くの編曲を手掛けている(中でもフレデリック・ショパンの夜想曲の編曲は有名)。傑出した超絶技巧の持ち主ではあったが、それを前面に押し出す演奏には消極的だった。むしろイザイを通じて身につけた、歌心と美音を尊重するフランコ・ベルギー楽派の優美な演奏スタイルが際立っている。そのためしばしばミルシテインは、「ヴァイオリンの貴公子」と称される。

    ○使用楽器

    - 1710年製ストラディヴァリウス「Dancla, Milstein」(1934-1946)

    - 1716年製ストラディヴァリウス「Maria Teresa:マリア・テレサ, Milstein, ex Goldman」(1945-1992)

    ○評価

    派手さはあまりないものの繊細な高温と濃厚な低音を、その美声で丁寧に奏でる。聴けば聴くほど嵌まる燻銀な演奏。
1974年12月ウィーン、ムジークフェラインザールでのギュンター・ブリースト、ギュンター・ヘルマンスによる優秀録音、名盤。

プロダクト・ディテール(オリジナル盤)

  1. レーベル
    DGG(Deutsche Grammophon)
  2. 楽曲
    ブラームス・ヴァイオリン協奏曲
  3. レコード番号
    2530 592
  4. 作曲家
    ヨハネス・ブラームス
  5. 演奏者
    1. ナタン・ミルシテイン
  6. オーケストラ
    ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  7. 指揮者
    オイゲン・ヨッフム
  8. 録音種別
    STEREO
  9. 製盤国
    DE(ドイツ)盤
  10. カルテ(協奏曲)
    ドイツ初出 BLUE LINE, STEREO 1枚組(140g),Release 1975。